担当部長は「非常に申し訳ない」と陳謝しています。
ゴミに出されていたのは、有田川町(旧金屋町)歓喜寺にある筏立(いかだち)遺跡からの出土物。 同遺跡は有田川町出身で、京都の高山寺などを開いた鎌倉時代の高僧・明恵(みょうえ)上人が若い頃に修行した地で、明恵が住んだ草案があったとされています。 有田川町教委によると、ゴミとして出されていたのは陶磁器のかけらや五輪塔(ごりんとう)の一部など。 20年前に旧金屋町が遺跡を調査した際に出土したものと見られています。 町議会でこの問題を質した佐々木裕哲町議によると、問題があったのは今年の春〜初夏頃。 他のゴミと混ざって廃棄されており、ゴミ処理業者から連絡があり、発覚したとのことです。 同教委によると、なぜゴミと一緒に捨てられていたかは依然不明とのこと。 出土したものをどこに保管したか、といった記録も無いとのことです。 教育部長は町議会で「貴重な遺物の管理が徹底されていなかったことは非常に申し訳なく反省している」と答弁しています。 戻った出土物は、改めて保管されているとのことです。 前の記事 [3]「ナオミの家」移転目指す
[2]記事一覧へ [0]トップページへ戻る |