Arikaina 2026/8 箕島高校、新人戦も単独出場[2]
対外試合禁止2カ月、県大会は初戦敗退—いじめ問題の果てに

「凛烈の意気」で単独出場を貫く 箕島高校硬式野球部、いじめ問題からの再出発[2]


出場をめぐり、学校に電話が殺到

 日本学生野球協会は今年6月19日、箕島高校への処分を発表。2カ月間、対外試合を禁止する処分としました。翌20日、箕島高校は記者会見を開いて事態を説明しましたが、この時点では夏の県大会に出場するかどうかは未定のままでした。

 池田教頭によると、会見後、学校には出場をめぐって多くの意見が寄せられたといいます。電話が多く、出場すべきという声とすべきでないという声はほぼ半々。中には1時間以上にわたって電話で話す人もいたそうです。

 最終的に学校は7月8日、出場することを発表しました。岡本規校長は被害者側の理解が得られたことと、加害者側も反省していることから出場を決めたと話しています。

 なお日本学生野球協会は7月17日、いじめを隠蔽したなどとして、箕島の前監督と前部長にそれぞれ無期謹慎処分、現部長に6カ月間の謹慎処分を下しています。

劇的なサヨナラ負けで姿を消す

 出場した夏の県大会。箕島高校は初回から得点を挙げ、終始リードする場面が多かったものの、9回裏、慶風高校の劇的な逆転サヨナラにより、初戦で敗退しました。

 1979年の星稜戦、1983年の吉田戦など、劇的なサヨナラ勝ちで甲子園を沸かせてきた「逆転の箕島」。しかし出場も危ぶまれる事態となった今年は、逆にサヨナラ負けによって、夏の大会から姿を消すことになりました。

9人に届かない部員でも…
「単独で出れないなら辞退」

 夏の県大会後、3年生が引退し、硬式野球部は野球をするのに最低限必要な9人に満たない人数となりました。県内ではすでに、部員が9人に満たない学校が、他校との連合チームで大会に出場している例もあります。しかし今年4月に就任したばかりの舩津直也監督は、「それは全く考えていませんでした」と言います。「箕島単独で出場できないのなら大会出場を辞退すると、部員とも話していました」

 舩津監督は、高校時代は那賀高校の硬式野球部でキャッチャーとしてプレーし、卒業後は大阪体育大学に進学。今年3月まで市立和歌山高校で副部長を務めていましたが、「(母校の)那賀高校のような県立高校で指導したい」として市立和歌山を退職し、県の教諭として今年4月から箕島高校に赴任しました。いじめの問題については、監督に就任するまで知らなかったとのことです。

 野球部は処分により、夏の大会まで約2カ月間、対外試合ができませんでした。処分自体は7月9日までで、7月14日の初戦までは間がありましたが、舩津監督によると大会が始まると練習試合もできない決まりになっており、結局初戦まで対外試合はできなかったとのことです。それでも野球部では、試合形式の練習である紅白戦をずっと続けてきました。3年生を含めても18人(2チーム分)には届きませんでしたが、OBの協力を得て実施。舩津監督自身も紅白戦に出場していたといいます。


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