かつて金屋に、日本全国の天文好きが集まった

日本流星研究のパイオニア
小槇孝二郎さんの
足跡を辿る展示会[1]


孝二郎さんと妻の茂代さん
(昭和41年、金屋の自宅前にて)

小槇さんは明治36年、岡山県の津山市生まれ。小さいころから天文学に興味を持ち、岡山の師範学校(学校の先生になるための学校)の天文同好会で流星(流れ星)の研究を始めます。その後、結婚を機に大正14年に金屋に転居。鳥屋城小学校や御霊中・耐久中など有田各地の学校で先生を勤めました。

小槇さんは先生をしながら、金屋の自宅で天体観測を続けていました。「岡山では割と町中に住んでいたので、こちらに引っ越してきた時は『空がきれいでいい』と喜んでいたそうです(小槇さんの次男・清嗣さん)」

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2009/8号

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