紆余曲折の末、吉備に移築 当初は神戸に残す予定が… 則岡さんによると当初は神戸市内に移築し、さらに谷崎が「卍」を書き上げた建物も同じ場所に復元して、谷崎のファンや文学ファンが集える場所にする予定でした。 しかし移築先として計画した土地で周辺住民から反対の声が挙がり、神戸市とも話をしたものの、建設を断念することに。 ところが、他の自治体では文化的価値を高く評価する所もあり、「うちに建てて欲しい」という引き合いが何件もあったとか。 しかし則岡さんは「本来なら神戸に残すべきもの。それが無理であれば、出身地の和歌山に移築したいと思いました」 建材の残っていた「ナオミの家」だけでもと、今回移築を決めたとのことです。 紆余曲折の末、吉備にやって来た「ナオミの家」。 建材は90年前のものがほぼそのまま使われ、内部も徹底的な調査により、できるだけ谷崎が住んでいた当時を再現。 隣には資料館もあり、谷崎と「痴人の愛」に関する写真やパネルを展示しています。 「展示するだけでなく、文化的な事業であれば無償で家を貸し出したい(則岡さん)」 残念ながら神戸では蘇らなかった「ナオミの家」ですが、吉備で新しい文化施設として育ってゆくことができるでしょうか。 [6]前に戻る (1) (2) (3) 前の記事 [3]マイナンバーカードQ&A
[2]記事一覧へ [0]トップページへ戻る |