現物を撮影したもののほか、活字で翻刻(ほんこく)され、読みやすくしたものも公開されています。 渋谷家は広村でさまざまな事業を行っていたとされ、文書の中では「稲むらの火」の故事で有名な、江戸時代後期の安政南海地震の際の村の様子がくわしく述べられています。 「稲むらの火」の故事は、津波が押し寄せ人々が逃げまどう中、村の商人・濱口梧陵(ごりょう)が、当時大変貴重だった稲むら(わらの束)に火をつけて目印とし、人々を誘導したーーというもの。 避難の大切さを伝えるお話として、戦前は小学校の国語教科書にも掲載されていました。 しかし渋谷家文書ではこの「稲むらの火」の故事よりも、津波後、困窮する村を梧陵が自らお金を出して復興にあたったことをくわしく記述。 「『ススキ』ヘ火ヲ付ケシ如キハ決シテ大恩ト云フニアラズ 広村永遠ノ救済策ヲ講セラレシコトコソ大恩有之所謂ナリ」と記しています。 文書ではほかにも、村の税金を安くするため、堤防にするという名目で価格の高いものを潰したことや、 津波後に村から多くの人が引っこしてしまい、渋谷家も湯浅に引っこしたものの、梧陵の説得により村に戻ったことなど、「稲むらの火」の舞台裏・後日譚とも言うべき話が掲載されています。 今年は濱口梧陵の生誕200年にあたり、同文書館では11月にも、耐久高校で所蔵されている「梧陵文庫」から何点かをネット上で公開する予定としています。 和歌山県歴史資料アーカイブ(www.lib.wakayama-c.ed.jp/monjyo/archive)から、「古文書」をクリック→「渋谷家文書」をクリック 前の記事 [3]土砂災害メッシュ表示
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