箕島高校センバツ出場記念

もう一人の大エース

〜春夏連覇時の名投手・江川博〜[1]


箕島高校時代の江川投手

もし機会があったら、一度片目をつぶってキャッチボールしてみて下さい。遠近感が乏しくなり、よほど緩い球でも捕るのが難しくなるはず。「こういう状態で野球やること自体、普通考えられませんわ」少し懐かし気にそう語るのは、記者のキャッチボールの相手を務めて下さった元箕島高校野球部の中西英人さん。しかし、この状態で箕島高校に入り甲子園にも出場、昭和54年の春夏連覇にも貢献したのが有田市出身の江川博(えかわ・ひろし)さんです。


江川博さん

逢井が生んだ豪速球投手

「入学当初、江川と横に並んで投げんのがイヤでした。それ位ストレートが速かった」そう振り返るのは江川さんの同級生で、春夏連覇時のエース・木村竹志(旧名・石井毅)さん。江川さんは昭和36年、有田市宮崎町の逢井生まれ。小学生の頃、箕島高校が甲子園で優勝したのを見て野球を始めた江川さん。小さい頃から体が大きかったこともあり、ピッチャーとしてたちまち頭角を現し、木村さんとは中学時代からライバルでした。しかし江川さんは、生まれつき左目が全く見えなかったのです。「自分の障害のことを話すことはなかった。周りでも、知らん人の方が多かったんちゃうかな(木村さん)」「僕はだいぶ後になって、大学で江川さんと一緒になってから知ったんよ。それ位、普通に見てる分には全然分からんかった(中西さん)」もちろんプレーでも「そんな事を感じさせることは全く無かった」と、二人とも口を揃えます。

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有田・海南のフリーペーパー
Arikaina
2009/3-4号

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