箕島高校センバツ出場記念

もう一人の大エース

〜春夏連覇時の名投手・江川博〜[2]

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気持ちの強さは人一倍

「多分、あの子にとっては障害って言う意識もあんまり無かったんじゃないかと思います」そう語るのは江川さんの姉・貞女(さだめ)さん。「目の全体を覆うようなコンタクトをしていたので、見た目にはほとんど分からなかったですし。小さい頃から体も大きく気の強い子だったので、ハンデがあってイジメられるどころか、むしろガキ大将だった(笑)」逢井のガキ大将は毎日毎日、家の前の塀にボールをぶつけて練習していたそうです。「田鶴小学校の野球部の練習を、見に連れてくだけでも嬉しそうで。ホンマに野球の好きな子でした」気持ちの強さは人一倍だったとか。「一度ボールがいい方の目に当たったことがあって、その時は母がそれとなく野球を止めさせようとしましたが、そういうのを聞く子じゃありませんでした(笑)」


少年時代の江川さん(上)と、逢井の自宅に残るボールをぶつけていた塀

学校の成績も良かった江川さんですが、高校進学の時は迷わず箕島へ。入学後もピッチャーとして活躍、甲子園では控え投手だったものの、ピンチヒッターとして出場を果たしています。卒業後も東京経済大学ー明治生命と野球を続けた江川さん。しかし昭和60年、突然病魔が江川さんを襲います。翌昭和61年2月17日、ガンにより死去。享年24歳。

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有田・海南のフリーペーパー
Arikaina
2009/3-4号

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