かつて金屋に、日本全国の天文好きが集まった

日本流星研究のパイオニア
小槇孝二郎さんの
足跡を辿る展示会[2]

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若いころから、気管支に持病を患っていた小槇さん。星空の観測は長丁場になることが多く、奥さんの茂代さんは大変心配していたとか。小槇さんは奥さんに見つからないよう、朝早くに忍び足で庭に設置した望遠鏡に向かっていたそうです。「母もあきらめてたみたいでしたけどね(清嗣さん)」小槇さんは観測結果を元に、たくさんの論文を発表。特に流星の研究に打ち込みます。


昭和10年に出版された小槇さんの初の著書「流星の研究」(ALECの展示より)しかし当時はまだ天体観測も一般的でなく、あまり売れなかったとか。

愛好家のネットワークを組織
日本の天体観測に大きな貢献

昭和18年、40歳の時に天文好きの仲間を集め「紀伊天文同好会」を結成。金屋の小槇さんの自宅にメンバーが集まり、観測結果を持ち寄ったり、新しい天文の話に花を咲かせていたとか。

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有田・海南のフリーペーパー
Arikaina
2009/8号

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