かつて金屋に、日本全国の天文好きが集まった |
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自宅でも学校でも、普段はおだやかでいつも笑顔を絶やさないような人だったという小槇さんですが「とにかく、天文の話をし出したら止まらない人でした(清嗣さん)」そんな小槇さんの人柄を慕ってか、最初はほんの数人で始めた同好会も次第に人数を増やし、やがては全国の天文愛好家が集まるように。
「かなり遠くの方からも、金屋まで来られていました。後に天文学で有名になった方もたくさんいらっしゃいます(清嗣さん)」紀伊天文同好会は後に「日本流星研究会」となり、小槇さんを通じて日本全国に天文愛好家のネットワークが生まれました。それまで個人で観測していたものが、みんなで協力して観測することで大きな成果が挙がるように。"アマチュア天文学の父“今では、そう呼ばれることもある小槇さん。当時交流のあった天文家の中野主一さんは、後に小惑星に「Komaki」と名付けています。