刀自体に銘なども刻まれていないため、旧会津藩士であること以外は全く分かっていないとのこと。 神社によると、鳥羽・伏見の戦いの後で和歌山に逃れてきた幕府方の武士は結構いた模様。 当時、紀州藩は朝廷に恭順の意思を示していたため、朝敵である幕府方の武士をかくまうことは禁じられていました。 しかし、どうやらそれはあくまで表向きのことだったようです。 紀州藩と言えば徳川御三家。 同神社には紀州藩から密かに「(幕府方の)藩士をかくまうよう」との依頼があり、この刀の持ち主をかくまったと伝えられていました。 [6]前に戻る (1) (2) (3) 前の記事 [3]かいなん夢風鈴まつり
[2]記事一覧へ [0]トップページへ戻る |