Arikaina 2013/8 広まるか、樹木葬[7]
「親鸞は亡き父母の追善供養のめに、いまだかつて一度も念仏を称えたことはない。

そのわけは、一切の生きとし生けるものは、生まれかわり死にかわりして、父母となり、兄弟となっているからである。

このため、次の世に生まれる時には仏となって、一切の生きとし生けるものを救いとり、助けねばならない。」

(由木義文著「歎異抄と浄土宗・浄土真宗のお経('03年(株)講談社)の現代語訳より)

 当たり前のように家のお墓に入り当たり前のように檀家を続けるのではなく、お葬式やお墓を「選ぶ」。

今、そんな人が増えているのは、馴染みが無いように見えて実はそれが新しいことでも無いーーからなのかもしれません。
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Arikaina
2013/8号
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