11月、有田川町の「藤並館跡」と湯浅町の「湯浅城跡」が国の史跡として答申されました。 このまま史跡として登録される見通しです。 今回国の史跡に答申されたのは、ともに中世の武士団「湯浅党」が本拠地にしていたとみられる施設の跡。 湯浅党は有田を中心に和歌山の広い範囲を支配していた武士団で、平安時代には平治の乱で窮地に陥った平清盛を助け、鎌倉時代には上覚(じょうかく)や明恵(みょうえ)といった名高い僧を輩出。 和歌山のみならず、日本史の中にその名を残しています。 有田川町の「藤並館跡」は長年くわしい調査が行われていませんでしたが、平成29年度に有田川町教委が発掘調査を実施。 土塁が非常に状態のいい形で保存されていることや、中世では珍しい瓦ぶきの館があったらしいことが分かっています。 なお同教委によると、今までは「藤並城跡」と呼ばれていましたが、今回の答申にあたり規模などから「館」の方がふさわしいとして、「藤並館跡」となったとのことです。 湯浅町の「湯浅城跡」は、現在、天守閣風の建物が建っている国民宿舎「湯浅城」近くの小さな山に残る城跡です。 湯浅党が根拠地としていたとされ、小さいながらも堅固な山城であったと伝えられています。 こちらも長年調査は行われていませんでしたが、平成23年から地元の団体「グリーンソサエティー」が整備活動を開始。 手すりや案内看板が設置され、城跡を散策できるようになっていました。 一昨年には、県と湯浅町により初の本格的な調査が行われました。 国の史跡に指定されれば整備や調査のための予算が付く可能性がありますが、有田川町教委によると、今後どのように整備していくかはまだ未定とのことです。 参考=公開シンポジウム「中世紀の国の武士団とその居館」発表資料集 http://wabunse.or.jp/report/sympo_data/pdf/sympo_20190223.pdf 前の記事 [3]ピアノの弾き鳴らし募集
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