寛文9(1669)年、阿波国(徳島県)から有田に入港した一艘の商船がありました。 荷主は、紀州藤代の長兵衛。 仁義村(下津町仁義)の太郎助という人物のみかんを運ぶため阿波から船を調達し、有田でみかんを積み込み、潮岬を回って一路江戸を目指します。 しかし、遠州灘(静岡県沖)で遭難。一行は積み荷のみかんや捕った魚で飢えをしのぎ、やがて見知らぬ島にたどり着きました。 「人居り候様子相見へ否申し候、尤も荒したる體も無御座候(小笠原島総覧)」無人島であることを悟った一行は島で休んだあと、新しく船を作ってふたたび海へ。 途中で他の島に辿り着きながら、一週間ほどで八丈島に着くことができ、そこから伊豆下田(下田市)へ。 無事に本州へ帰り着いた一行は、下田奉行書で自分たちが見た無人島について届け出たのでした。 [6]前に戻る (1) (2) (3) (4) 前の記事 [3]おもちゃ博物館再オープン
[2]記事一覧へ [0]トップページへ戻る |