Arikaina 2014/02 小笠原とみかん船[4]
新しい島を日本の領土として見られるのも、苦難の末に帰還を果たした紀州人の奮闘があったればこそ、なのかもしれません。

なお長兵衛はみかんは失ってしまったものの、下田に着いてから小笠原で作って乗ってきた船を金一両二朱で売り払い、紀州までの旅費にした(帰りは陸路で帰った)と口述書で述べています。

参考文献=
東京府「小笠原島総覧」(昭和4年)

伊藤東涯「●軒小録」(昭和4年「日本随筆大成第2期巻12」収録)
※●は車片に酋

田中弘之「幕末の小笠原—欧米の捕鯨船で栄えた緑の島」(平成9年)

浦川和男「実録 小笠原母島漂着記(2)」(「海と安全」1999/10月号(No.489)掲載。長兵衛の口述書の現代語訳を掲載しており、下記のサイトで読むことができます)

日本財団図書館
http://nippon.zaidan.info/
seikabutsu/1999/00473/
contents/019.htm

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