しかし昨年、則岡さんが他界。 有田川町の則岡さんの土地は売却されることになりました。 一般公開も行われなくなり、現在はまだそのまま残されている「ナオミの家」も、このままでは行き場を失ってしまいます。 今年7月、「ナオミの家」の前で開催された則岡さんの一周忌の集い。 前述のたつみ都志さん始め友人や、出身校である耐久高校の同級生等多くの人が集まりました。 上映された故人をしのぶスライドの中では、ナオミの家が則岡さんの『遺作』として紹介されました。 「なんとか残したい」この日集まった人々をはじめ、関係者による努力が続けられています。 大の"引っ越し魔"・谷崎 家へのこだわりは人一倍 生涯に40回以上も引っ越した、大の"引っ越し魔"として知られる谷崎潤一郎。 書斎からの眺望や景観、方角など家には強いこだわりを持ち、自らデザインして建てた家に住んだこともありました。 「(『痴人の愛』と『ナオミの家』でも見られる様に)谷崎はよく、執筆空間と自分のいる空間を一致させています。 私は自分の研究の大部分を、谷崎と、谷崎の住んで来た家の研究に費やして来ました(たつみ都志さん)」 数多くの家に引っ越し、数多くの名作を産み出した谷崎潤一郎。 今度の"引っ越し"の結末は果たしてどうなるでしょうか。 則岡さんは生前、こう仰っていたそうです。 「僕はまぐろ。泳いでないと死ぬんだ」 参考文献=たつみ都志著「ほろ酔い文学談義 谷崎潤一郎〜その棲み家と女〜」2016年 幻冬舎 (1) (2)
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