Arikaina 2011/4 避難ごくわずか…[2]
 「予想された時間になっても津波が来ず、その後帰る人が増えた(海南市の担当者)」

避難指示や避難勧告には強制力はないため、市や町の担当者も「無理にひき止めることはしなかった」「自己責任で帰っていただいた」と口を揃えます。

 東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣さんは「大津波・津波警報は、3回に2回は空振りに終わります。でも3回に1回は、大きな被害をもたらすことになる」と話しています。

なぜ避難する人が少ないのか?
「稲むらの火」が今伝えること


稲むらの火
江戸時代の安政地震の際、大きな津波に襲われた広村(現在の広川町)。

村の商人・浜口梧陵(ごりょう)は、自分の家の稲むら(稲の束)に火をつけ、津波から逃げる人々を誘導しました。

この故事を元に、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は小説「生ける神」を執筆。

さらにこの小説を元に、湯浅町出身の中井常蔵が国語教科書用に「稲むらの火」を執筆、昭和初期の教科書に掲載されました。

[5]続き
[6]前に戻る
(1) (2) (3) (4) (5) (6)
次の記事 [4]東海・南海地震に備え
←このページのコード
有田・海南のフリーペーパー
Arikaina
2011/4号
[1]このページの一番上へ
[2]記事一覧へ
[0]トップページへ戻る
IP分散サーバーサービス