Arikaina 2011/4 避難ごくわずか…[3]

浜口梧陵(1820〜1885)
広川町出身。醤油業を営み、後に政治家としても活躍。

明治政府で駅逓頭(えきていのかみ=郵政大臣)、和歌山県議会では初代議長を務めました。

耐久高校の創設者でもあります。

写真は広川町の「稲むらの火の館」にある肖像画。

 今の地震は、別に烈しいといふ程のものではなかつた。

(中略)村では、豊年を祝ふよひ祭の支度に心を取られて、

さつきの地震には一向気がつかないもののやうである。(「稲むらの火」の冒頭部分)

 しかし高台にある五兵衛(浜口梧陵)の自宅からは、そんなのどかな風景の向こうに、波が沖へと動いていくのが見えていました。

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Arikaina
2011/4号
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