室町時代には紀伊守護職・畠山氏と激しい攻防を繰り広げ、 南北朝時代には南朝方として楠木氏らと共に戦いますが、 1447年(文安4年)、湯浅城は陥落。湯浅党も歴史の表部隊から姿を消しました。 なお華厳宗中興の祖として名高い明恵上人(1173ー1232、京都・高山寺の開祖)は、湯浅宗重の孫に当たります。 湯浅城址=国民宿舎湯浅城から徒歩10分 Googleマップで見る ※城跡の山にはどなたでもお入りいただけますが、遊歩道の入口には鍵をかけています。山へ入る際には事前に、左記いずれかのグリーンソサエティーのメンバーまでご連絡をお願いします。 TEL.0737・63・0401(三ツ村) TEL.0737・63・4044(松野) (1) (2) (3) 前の記事 [3]「市」が船着場建設
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