Arikaina 2020/10 「弓庭先生」きんた・ミーノさん死去
「きんた・ミーノ」とはまた違った「弓庭先生」の顔
「弓庭先生」きんた・ミーノさん死去 りら創造芸術高校が音源を公開

 紀美野町出身で、コミックバンド「おかげ様ブラザーズ」やテレビ・ラジオへの出演で活躍したきんた・ミーノさん(本名・弓庭規生(ゆば・のりお)さん)が、8月、病気により59歳の若さで亡くなりました。

弓庭さんは'07年から、同町にある「りら創造芸術高校(以下りら高校)」の講師として音楽を指導。

同校では訃報を伝えるページ内で、弓庭さんが生徒のために演奏した音源を公開しています。

生徒に指導する弓庭さん
写真提供=りら創造芸術高等学校

 所属事務所のプロフィールなどによると、弓庭さんは'80年代〜'90年代にかけてバンド「おかげ様ブラザーズ」やテレビ・ラジオで幅広く活躍。

しかし、'96年にバンドを解散。別のバンドを結成するも長続きせず、故郷の紀美野町へ。

音楽からは身を引き、カフェを経営するなどしていました。

「バンドやりたい!」生徒の声に「もう1回、音楽に真剣にならないと」

 その後、'07年にりら高校(当初は高等専修学校)が開校。

学校側から弓庭さんに講師の話が持ちかけられ、当初、弓庭さんは和太鼓の講師として同校に赴任しました。

「当時はどちらかと言うと、『(バンドの)音楽からは離れたい』というお気持ちだったと思います(りら高校の鞍教頭)」

しかし講師をしているうちに、生徒の中から「バンドやりたい!」という子が出てくると、「ミュージシャンとして、音楽をしっかり教えたい」と、音楽全般を指導するように。

指導するだけでなく、生徒といっしょに『えぷろんず』というユニットを結成し、活動していました。

「『自分ももう1回、音楽に真剣にならないといけない』当時、弓庭さんからよくそんな話を聞いていました(鞍教頭)」

りら高校で講師をはじめた'07年、弓庭さんは10月に東京と大阪で「おかげ様ブラザーズ」の復活ライブを開催。10年ぶりにバンド活動を再開しました。

 一期生が卒業する時には「贈りたい曲がある」と、自身の曲「BIRTH」を収録。

この時の音源は、りら高校のホームページで聞くことができます。

学校で最後のライブ
生徒とのユニット、これからも活動

「えぷろんず」のステージ
写真提供=りら創造芸術高等学校

 弓庭さんはその後も講師をつとめるだけでなく、今も校歌がわりのように歌われているという「ひまわり」や、「田んぼでお米を作りましょう」「やさしいの歌」など、りら高校・生徒のためにたくさんの曲を作詞作曲。

『えぷろんず』も最初の生徒が卒業後も、先輩から後輩へとメンバーを引き継ぎつつ活動を続けていました。

 しかし体調を崩し、3年前から学校に来られない状態に。

それでも'18年、「生徒たちにライブを見せたい」と、りら高校でライブを開催。

すでに立てる状態ではなく座りながらではあったものの、周囲の全力サポートもあってライブを完走。

これが、弓庭さんの最後のライブとなりました。

 亡くなった後、りら高校には卒業生からたくさんの問いあわせがあったとか。

現在、同校には弓庭さんから直接指導を受けた生徒はいないものの、『えぷろんず』は継続して活動中。

学校に残された弓庭さんのコンセプトを実現するべく、練習にはげんでいるとのことです。
▽りら創造芸術高校ホームページ(「BIRTH」の音源と、「田んぼでお米をつくりましょう」の動画が公開されています)
トップページ(www.lyra-art.jp)から、「お知らせ」内の 「訃報 特別講師 弓庭規生先生」をクリック
参考=昭和プロダクション「きんた・ミーノ」
www.showapro.com/entertainer/%E3%81%8D%E3%82%93%E3%81%9F%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%8E

りら創造芸術高等学校「訃報 特別講師 弓庭規生先生(アーティスト名:きんた・ミーノ)」
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